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測るお話

こんな本を読みました。200ページ弱の本なんだけど、内容がすごく濃くめっちゃ読むのに時間かかった。


タイトル:測りすぎ―なぜパフォーマンス評価は失敗するのか

著者:ジェリー・Z・ミュラー

翻訳:松本 裕

この本が述べていることを簡単に要約すると、


数値測定の本来の目的はパフォーマンスをあげるためには有効であるが、これを評価に使える業種は非常に限られ、適切に使わないとマイナスのパフォーマンスになるぞ


ということです。


この本には、本来はパフォーマンスをあげるための数値評価が、マイナスのパフォーマンスを発揮してしまった様々なシチュエーションがたくさん描かれています。


パート1では測定について簡単なイントロダクションがあり、それをもとに測定が行われるようになった歴史的背景がパート2にあります。

そしてパート3で学校や大学、医療、警察そしてビジネスなど様々な場所で、どういう理由で測定が行われそしてどういう理由で失敗したかを見ていきます。

最後に著者が思う、測定を行うときの注意と正しい測定の行い方でしめられています。


とりあえずすごく話がわかりやすい。筆者の主張が読んでてすんなり入ってきます。

そして非常に透明性を求める弊害が今の日本の様子と似ていてすごくしみます。




この本を読んで、印象に残ったのが数値が表すものの限界です。


説明責任という言葉は最近とてもよく聞きますね。

何か問題が起きたとき、また国がなにか政策を打った成果を数値的に説明させられます。透明性が求められているわけです。


ここでどんなことであれ、数値で示すことを求められ、そのための測定が必要です。

本の中で紹介される一例として、学校の生徒の成績により学校の評価が決まる例が挙げられています。

具体的な流れは次の通り、

  • 生徒の学力を測定するためには、共通テストが行う。

  • その結果を学校の成果として、補助金の増減が決める。

  • 学校側は補助金を減らされたくないので生徒の学力をあげるように努力し、生徒全体的な学力があがる。

というわけですね。

ここで問題なのが生徒の成績をきめる大きな要因となりうるほど、教師の手の届く範囲は広くないと言うことですね。


測定は簡単に測定できる値しか測定されません。測定をすることによって期待されるパフォーマンスの向上よりも、コストがかかると本末転倒なわけです。

ただ簡単に測定された結果で正しい評価ができる可能性は低く、さらにその評価値が具体的な報酬に絡むと手段と目的が入れ替わるようになる。

つまり、

元々はある目的のための羅針盤の役割をするはずの測定が、測定値をあげることが目標になる

今の日本で非常にありそうな話ですね。すごく身に覚えのありそうな感じです。


この本が全面的に正しいとは思いません。そして測定がダメだとも思いません。

この本の中でも測定は特定の場合において非常に高い効果を発揮すると述べています。


ただ、僕はデータを眺めるのが割と好きな人間なので、こういうのを気をつけていかないとなっていうのがすごく思った次第です。

データを集計する側として、測った項目が正しく何を表しているのか、そして万能な測定方法は存在しないことを心の隅に常に留めて置こうと思います。

また世の中でよく見る測定値をみるときも、

  • この測定値は何を表しているのか

  • その測定値は本当に判断したいことを評価するのに十分な能力を持っているのか

  • 図やグラフに騙されていないか

などを気をつけようと思いました。

そうすると、また違った世界の見え方ができるんじゃないかなっていう期待を持って明日からも頑張っていこうと思います。


それではおやすみなさい。

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